フレミングとペニシリン
9月30日はフレミングがペニシリンを発見した日である。
そこで、フレミングとペニシリンについて、
調べたことと個人的に思ったことを書きたいと思う。
アレクサンダー・フレミング
彼についてまず特筆すべきことは、誕生日(8月6日)と亡くなった日(3月11日)が
日本にとって大きな出来事が起きた日と同じであるということである。
もっとも、後者については彼の知るところではないが。
ペニシリンの発見
フレミングの伝記において一番のハイライトであるのが、この部分であろう。
僕自身、あまりしっかりと書かれた伝記を読んだことはなく、
偉大な発見の記述を様々な場面で目にするだけであったが、
誤解をしていたということが分かった。
これについては文献[1]に詳しい。
筆者は7つの偶然の出来事を挙げそれが起こる確率はとても低いとした上で、
「起こったことは起こった」(468頁)
とフレミングの業績に傷が付くことではないと書いている。
また驚いたことは、最初はペニシリンが抗生物質としてではなく、
インフルエンザのワクチン精製に用いられたということである。
今でこそ良いワクチンが大量生産されているが、
当時はまだそのような技術がなかったため、大きな発見であったと言えよう。
ペニシリンの合成
化学者(特に有機化学系)は自然界の物質を何とか研究室で合成し、
もしそれが人類によって有用であるならば
工場における大量生産を可能にしたいと考えるものである。
ペニシリンも多分にもれず、合成が試みられた。
しかしながらそのプロジェクトは、本が一冊書けてしまうほど困難を極めたのである。
文献[2]はペニシリンの合成を初めて成功させた化学者によって書かれている。
何かを作るときは、まずその設計図を手に入れる必要がある。
合成の場合も同じで、合成しようとする物質の構造を知らなければならない。
そこから要素を分解し、合成の手順を考えるのが一般的である。
ペニシリン合成計画は構造を決める時点で大きな壁にぶつかった。
1942年には大きく2つの可能性が考えられていたが、そのどちらもが欠陥を持っていた。
後にその一方が正しいことが証明されるのであるが、
それまでは『間違った』構造の合成研究が活発となり、
「合成プロジェクトをつぶしてしまった」(145頁)と皮肉られている。
また正しい構造が分かったとしても、容易に合成が可能かどうかは別問題である。
図を見れば分かるように、ペニシリンは2つの輪を持っている。
(一番左の六角形は問題にしない)
鎖のようにただつなげていけばよいわけではないことは一目瞭然である。
どのようにして輪をつくるかが大きな問題であった。
詳しくはここでは言及しないが、
最終的な合成経路が確立されるのが1957年、
フレミングの発見からおよそ30年後のことであった。
本当は日本におけるペニシリン研究についても書きたかったが、
なにぶん締め切りが迫っていたので、
これについてはまたの機会にとしていただきたい。
参考文献
[1] グウィン・マクファーレン著、北村二郎訳『奇跡の薬 ペニシリンとフレミング神話』 平凡社 1990年
[2] ジョン・シーハン著、往田俊雄訳『ペニシリン開発秘話』 草思社 1994年